信行寺について
圓融山信行寺は浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。その歴史は古く、明徳2年(1391)に四夷新左衛門が仏法に帰依し、法名を浄専と称して私宅を寺にしたのが始まりと伝わっています。
その浄専を開基として、現在の第30代住職・法顕まで630年以上、途切れることなく法灯を継承しています。
かつては十間四面の本堂を中心として、山門・庫裡・客殿・太鼓楼・鐘楼・経蔵といった壮麗な伽藍を誇っていましたが、第2次世界大戦や阪神淡路大震災によって諸堂宇は焼失・倒壊してしまいました。
また昭和22年の第二阪神国道(43号線)の開通により境内地は半減しました。
惜しまれることではありますが、お念仏の道場として今日までご門徒や地域の方々に支えられて護持されてきました。
信行寺の歴史
- 明徳2(1391)年
- 初代住職・浄専によって開基
- 元和6(1620)年
- 寺号を真光寺と改める
- 天和2(1682)年
- 寺号を再び信行寺と改める
- 元禄11(1706)年
- 土豪勝部政寛によって梵鐘が寄進される。名鐘といわれたが昭和18年、金属回収令により供出して現存しない。
- 宝暦9(1759)年
- 本堂改築。この時、狩野派絵師の勝部如春斉が本堂余間襖を揮毫。如春斉の代表作といわれたが、昭和20年8月6日の空襲で焼失した。本堂正面襖8枚は栄松斉典郷が揮毫し、戦災の半年前に経蔵に移して焼失を免れ現存する。
- 寬政13(1801)年
- 本願寺から末寺最高の院家に列せられる(許状現存)
- 昭和20(1945)年
- 8月6日の西宮空襲により、本堂・太鼓楼・山門をはじめ経蔵を除く諸堂宇を焼失。創建以来伝わる本堂とお内仏のご本尊(阿弥陀如来像)は地中に埋めて焼失を免れた。
- 昭和22(1947)年
- 第二阪神国道(43号線)開通により境内地すべて没収され、換地交付されるも面積半減す。
- 昭和42(1967)年
- 本堂再建
- 昭和60(1985)年
- 山門再建
- 平成7(1995)年
- 大震災により戦争で唯一焼失を免れた経蔵が全壊。本堂・庫裡半壊。
- 平成10(1998)年
- 本堂修復。庫裡・研修堂を新築
- 平成27(2015)年
- 梵鐘・鐘楼再建
- 令和4(2022)年
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歴代住職
- 開基
- 浄専(四夷新左衛門)
- 2代
- 西秀
- 3代
- 乘信
- 4代
- 善宗
- 5代
- 乘秀
- 6代
- 乘哲
- 7代
- 贒信
- 8代
- 贒明
- 9代
- 西春
- 10代
- 善秀
- 11代
- 法正
- 12代
- 洋哲
- 13代
- 法正
- 14代
- 乘春
- 15代
- 乘教
- 16代
- 賢察
- 17代
- 教覚
- 18代
- 教林
- 19代
- 教了
- 20代
- 教本
- 21代
- 教乘
- 22代
- 教胤
- 23代
- 教乘
- 24代
- 教尊
- 25代
- 教覚
- 26代
- 教専
- 27代
- 教應
- 28代
- 教春
- 29代
- 教修
- 30代
- 法顕(現住職)