明徳二年(一三九一)創建
六三〇余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です
明徳2年(1391)創建
630余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です
上岡龍太郎さんが亡くなられたときに、女優の秋野暢子さんが上岡さんのエピソードをブログに書いておられます。今月はそこで紹介されていた言葉です。
あるテレビ番組に教師が大勢出演していて、その1人が「子供は勉強嫌いだから」と言ったところ、上岡さんが「教師がそんなこと言ってどうする、勉強が楽しいと教えるのが君の仕事だろ」と言われました。するとその教師が「それは、理想論でしょ」と反論したのですが、上岡さんが間髪入れずに「人は理想に向かって進むもんだろ」と言ったそうです。秋野さんは、「私に響いた。その日から理想に向かって進もうと思わせてもらいました」とブログに綴っています。
仏教とは、仏さまの教えに従い、私自身が仏(ブッダ)に成ることを目指していく教えです。そして仏さまとは、自己と他者とを区別することなく、すべての存在の幸せを心から願い、その実現に向けて実践していくお方です。また、他者の苦しみや悲しみに対して常に寄り添い続けていくような存在でもあります。そのような理想的人格である仏さまの生き方を尊いものとして仰ぎ、私もそうありたいと願って、仏さまの生き方を模倣していこうとするのが仏教徒としての本来の姿と言うことができます。
しかし、仏さまの自他平等の心に触れて知らされた私は、まるで正反対の生き方をしています。自己中心的な言動によって他者を傷つけ、時には自らを傷つけながら生きているのが私という存在です。そうした仏さまの悟りというあり方から程遠い私であるからこそ、「浄土に生まれさせて仏にしたい」と願われたのが阿弥陀如来です。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀如来が「まかせよ(南無)、かならず救う(阿弥陀仏)」と、私に救いを喚びかけている言葉なのです。
仏さまを尊ぶ人生とは、これまでの放逸無慚な自分の姿が知らされていくということでもあります。そのような中で、ほんの少しでも理想にかなった生き方をさせていただこうとする、これまでにはなかった新たな価値観が自分の中に立ち上がってくるのかもしれません。もちろんその生き方をもって、浄土に生まれていくための功績にしていくということではなく、阿弥陀仏の救いを聞き受けた上で仏さまのお心に僅かでも報いていくような歩みなのです。今月の上岡さんの言葉を通して、念仏者の理想と倫理性を考えさせていただきました。
合掌
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第30世住職 四夷 法顕
1985年生まれ
信行寺住職
相愛大学非常勤講師
毎日文化センター講師
浄土真宗本願寺派宗学院研究員
本願寺派布教使
文学博士
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