明徳二年(一三九一)創建
六三〇余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です
明徳2年(1391)創建
630余年の歴史をもつ浄土真宗のお寺です
2月は毎年恒例の節分の季節です。「節分」とは「季節の分かれ目」という意味で、年に4回訪れる立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す言葉ですが、いつしか立春(2月4日頃)の前日のみを「節分」と呼ぶようになりました。節分は元々中国の文化が由来で、「追儺(ついな)」という疫病をもたらす疫鬼を、魔除けの力を持つ穀物で追い払う行事がおこなわれていました。鬼を払う役人が盾と矛を持って、貴族たちと鬼を追い回すという文化が日本に伝わり、節分に豆まきをするようになったとされます。
豆まきをする時には、「鬼は外!福は内!」と声を出しながら鬼を追い払います。しかし、鬼を外へ追いやればもう家に鬼はいなくなるのでしょうか?家の中には人を嫉む・悪口を言う・腹を立てる、という三拍子そろった「私」という鬼がいるではありませんか。
浄土真宗の篤信者のことを「
うちのカカアの寝顔をみれば、地獄の鬼のそのまんま、うちの家にゃ鬼が二匹おる。男鬼女鬼あさましや、あさましや。
という言葉を残しておられます。夫婦喧嘩をして腹を立てた奥さんの寝顔が鬼のように見えたのでしょう。しかし、才市さんはその奥さんを鬼にしていた、もっと恐ろしい男鬼の自分がいたことを嘆いています。このような自身のあり方は、単なる自己反省による気づきではなく、仏さまの教えを通して知らされた自己の姿をいえるでしょう。
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、
さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし。(歎異抄)
といわれ、縁次第ではどんなおこないをしてしまうか分からない、鬼のような心をもった自己であるとされています。しかし、そのような鬼こそを救わずにはおれないと願っておられるのが阿弥陀如来です。自己中心的なモノの見方によって、自他ともに傷つけながら生きている「私」という鬼に届けられているのが、「南無(まかせよ)阿弥陀仏(われに)」というお念仏の教えだったのです。
合掌
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